いろいろなケースがあるが、分裂病に最初にあらわれるのが「関係妄想」といっていいかもしれない。周囲の状況を全部自分に関係づけるということだ。電車の乗客が友人と談笑している。隣りのビルの窓から女性社員が仲間とこちらを見て談笑している。それらを、自分をあざけって笑っていると思い込む。
それが発展すると、だれかが自分に悪さをする、自分を陥れようとする人がいる、会社の中で自分を首にしようとする一派がいる、などという「被害妄想」となる。
せきばらいにおびえた主婦(二十五歳)のこんなケースがある。
——短大時代に同級生にせきばらいする人が近くの席にいて、とてもうるさかったのです。そのせきばらいする人がしだいにふえて、私をじゃまするようになりました。卒業以来その同級生とは会っていませんが、彼女があるグループをつくり、私をいじめていると思うのです。買い物に入った八百屋の主人もスーパーのレジの女の子もせきばらいをして、私をからかっているようです。
家に帰ってテレビをつけると、山田洋次監督の姿が映って、なんと私に向かってせきばらいをしました。新宿から立川行きのJR中央線に乗ったら、隣の席にすわったサラリーマン風の男性がまたせきばらいをして私をおどかすのです。彼にまで手が回っているとしか考えられません。そのうちにストーカーが私にまといつくようになりました。北海道に行っても、ニューヨークに行っても、ストーカーがついて回るのです。
ある人にすすめられて「世直し教」という宗教団体に入ったのですが、そこにも手が回っていました。そこの会員の中で数人の人がわざとせきばらいをしたり、悪口を言う声が聞こえるようになりました。その宗教はまた私に悪霊をさし向けるのです。数人のある信者は別人に変装して私を追いかけてきます。実に巧妙な変装で見分けがつきません。
蒲田の駅にも、東京駅にも、西武新宿線の高田馬場駅にも出没します。箱根に逃げていっても、強羅からの上りのケーブルカーにもちゃんと乗って見張っている。声はどこまでも追いかけてくるが、このごろは、ああしろ、こうしろと命令調になりました。私は危うく、電車から飛び降りるところでした。
先生、なんとか助けてください。かぜで近所の内科の先生にかかったのですが、その医院の待合室にも敵がいたんです。
それが発展すると、だれかが自分に悪さをする、自分を陥れようとする人がいる、会社の中で自分を首にしようとする一派がいる、などという「被害妄想」となる。
せきばらいにおびえた主婦(二十五歳)のこんなケースがある。
——短大時代に同級生にせきばらいする人が近くの席にいて、とてもうるさかったのです。そのせきばらいする人がしだいにふえて、私をじゃまするようになりました。卒業以来その同級生とは会っていませんが、彼女があるグループをつくり、私をいじめていると思うのです。買い物に入った八百屋の主人もスーパーのレジの女の子もせきばらいをして、私をからかっているようです。
家に帰ってテレビをつけると、山田洋次監督の姿が映って、なんと私に向かってせきばらいをしました。新宿から立川行きのJR中央線に乗ったら、隣の席にすわったサラリーマン風の男性がまたせきばらいをして私をおどかすのです。彼にまで手が回っているとしか考えられません。そのうちにストーカーが私にまといつくようになりました。北海道に行っても、ニューヨークに行っても、ストーカーがついて回るのです。
ある人にすすめられて「世直し教」という宗教団体に入ったのですが、そこにも手が回っていました。そこの会員の中で数人の人がわざとせきばらいをしたり、悪口を言う声が聞こえるようになりました。その宗教はまた私に悪霊をさし向けるのです。数人のある信者は別人に変装して私を追いかけてきます。実に巧妙な変装で見分けがつきません。
蒲田の駅にも、東京駅にも、西武新宿線の高田馬場駅にも出没します。箱根に逃げていっても、強羅からの上りのケーブルカーにもちゃんと乗って見張っている。声はどこまでも追いかけてくるが、このごろは、ああしろ、こうしろと命令調になりました。私は危うく、電車から飛び降りるところでした。
先生、なんとか助けてください。かぜで近所の内科の先生にかかったのですが、その医院の待合室にも敵がいたんです。