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「まさか」の人に起こる異常心理68

时间: 2020-01-31    进入日语论坛
核心提示:私の幼年時代の強迫行動 朔太郎先生の教え子である私も、八歳まで一人っ子だった。両親は多忙で、ほとんど私のそばにいなかった
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私の幼年時代の強迫行動

 朔太郎先生の教え子である私も、八歳まで一人っ子だった。両親は多忙で、ほとんど私のそばにいなかった。そして大甘の松田というばあやに育てられた。私の嫌いなものはけっして食べさせてくれなかった。両親の顔もろくに見ず、ばあやから過保護に育てられ、しかも一人っ子で、長男の甚六ときては、一人っ子にありがちな悪いほうの性癖を発揮するようになっても不思議ではなかった。
当然のことながら、幼稚園でも孤独で人嫌い。砂場で一人で遊んでいたり、門前で引っくり返って足をバタバタさせて泣き叫んだりした。
家のトイレの前に大きな鏡があった。幼いころの私はトイレに入る前と、出てきたあと、必ず着物をはしょり、おしりを丸出しにして鏡で確かめることをやっていたのを思い出す。今から考えると、それはいわば強迫行動であったと思う。おしりに何かついていないかを確認していたのかもしれない。
衣服を着るのも、行動もすべてのろかった。家庭環境がいびつで、過保護に育てられた一人っ子の短所は、わがまま、引っ込み思案、内弁慶、虚弱、神経質、臆病、根気が続かず忍耐心がない、などだが、私はその大部分を発揮していたのだ。
箱根のケーブルカーの終点の早雲山駅から一望する箱根外輪山の展望もこわくて目をあけていられず、ついには泣き出したのは七、八歳のころだった。カエルはむろん、ミミズがこわくて泣き出し、叔父から叱られたことも思い出す。蛇恐怖症は今も続いている。
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