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無花果少年と瓜売小僧09

时间: 2020-01-31    进入日语论坛
核心提示:  9 磯村くんがこの町に越して来たのは十二月八日のことですが、そこに行くまでの話を、ちょっとだけしましょう。 不動産屋
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 磯村くんがこの町に越して来たのは十二月八日のことですが、そこに行くまでの話を、ちょっとだけしましょう。
 不動産屋のおじさんは、その気のない、冷やかしかもしれない、若い男の子を相手にするのにしてはかなりに親切な方でした。�そっけない�というのはその程度のものです。磯村くんは、そのおじさんの無愛想かもしれないそっけなさと付き合って、人間というものは平気で一人立ちしてしまうものなんだということを知ってしまいました。別に地方出身者じゃなくったって、別に住宅事情に困っていなくたって、別に通学距離に殊更《ことさら》悩まされていなくたって、ひょっとしたらどうしようもない�不良�かもしれないのに、�学生さんの為の部屋�というのはゴロゴロ転がっているのだということを知ってしまったのです。たとえ「今の時期はあんまり目ぼしいのってないけどねェ」と言われたって。
磯村くんは自分のことを理論派だと思っていましたがとんでもない、理論派をやっている時の磯村くんは少しも目ぼしい動きをしないでただ黙ってブツブツとモノローグを繰り返しているだけです。状況が�行動�となって初めて、なんにも考えずにそこに飛びこんで行ってしまうという、後先なしのむこう見ず少年でしか、磯村くんはありませんでした。だから「だからどうしてよ?」とお母さんに訊かれても、今度の磯村くんは平気でした。今度はもう、�理論�ではなかったからです。
 勿論磯村くんは、不動産屋さんでの�説明会�の後、帰ってすぐ、お母さんにそのことを言い出しました。
「だから俺、やっぱり一人で住みたい。ねェ、いいでしょ?」
そう言われたって、磯村くんのお母さんには何が�だから�なのかさっぱり分りません。
「だからどうしてよ?」
磯村くんのお母さんは言いました。
「だからァ、俺、落着いて勉強がしたいのよ」
磯村くんにいきなりそう言われても、お母さんとしては「それで?」としか言いようがありません。なにしろ、一橋に行っている磯村くんのお兄さんは、家にいたまま、落着いて勉強というのをしていたからです。
「だってェ、通うの大変だってことぐらい、お母さんだって知ってるでしょ?」
 立川から分倍河原を通って、高幡不動から多摩動物公園に出て、おまけに太って息切れがするからといって悠長にスクールバスが来るのまで待っているという経験をして入学式について行ったお母さんは、そのことを重々承知していました。なにしろその帰り道、「あなた大丈夫? これから毎日こうやって通うのよ?」とそう言ったのは当のお母さんなのですから。
「だから、よく続くわねェと思ったけどサ」
磯村くんに詰問されたお母さんはそう言いました。
「だから大変だって言ってるじゃない」
磯村くんはおんなじことを又言いました。
「でも、一人で住むってなったらもっと大変よ」
「どうして?」
「だって、通学時間が短かくなった分だけ、あなた、自分のこと自分でしなくちゃいけないのよ?」
「するよ」
磯村くんは言いました。
「いいけど」
お母さんはそう言いました。
「いいけど、何よ?」
磯村くんは訊き返しました。
「本気なの?」
お母さんはそう言いました。「いい」とかなんとか言う前に、お母さんはただただ、「一体この子は本気でこんなことを言ってるんだろうか?」と、それだけを知りたかったのです。
「本気だよ」
磯村くんは言いました。「よく考えたら、自分は法学部の法律学科の学生で、よく考えたら、今迄は一遍だってそんなこと考えたことなかったけど、僕は本気で司法試験を目指したっていいんだもんなァ」と、「本気だよ」と言った瞬間、磯村くんはますます本気になりました。磯村くんは、�それをやってもいい!�ということになったら、その件に関する周辺理論を全部かき集めて来て、それで確固とした理論を作ってしまうという、そういう、よく訳の分らない�理論派�だったのです。
「そうなの——」
磯村くんに「本気だよ」と言われたお母さんは、もう返す言葉がありませんでした。�この子�が本気であることはもう間違いがないと思ったからです。
そして、そこまでになりました。本気だということが分ったら、もう母親の出る幕じゃないとお母さんが思ったからです。そこから先は、誰か自分以外の人間が決定することで、自分にはそんな重大なことを決める力はないと、お母さんは思っていました。
「だからいいでしょ?」
磯村くんにそう言われた時、だからお母さんは「分んないわよ、そんなの」と、素直に言いました。
磯村くんのお母さんにすれば、自分の息子が不良にでもならない限り、自分の家を出て行く理由なんかないと思っていたからです。
でも、突然に、自分のところの男の子が「本気だよ」と言い出しました。そんな訳の分らないこと、「分らない」でしかなかったからです。
�月に三万五千円�——それだって、別に磯村家にとっては格別無理な出費ではありませんでした。反対する理由も、反対しない理由も、別になんにもなかったのです。
という訳で、お母さんの頭の中は真っ白になりました。真っ白になったから、それ以上は、分りようがないのです。
 お母さんに「分んないわよ、そんなの」と言われた磯村くんは、「どうして?」とすかさず訊きました。
「どうしてって言われたって、分んないもの」
お母さんの言葉は、いささか磯村くんにとって不気味ではありました。
自分の行動には正当性があって、自分の行動には確信があって、だから自分の言葉には当然説得力がある筈なのに「分んないわよ」なんていう言葉が返って来るなんて——。
「ひょっとしたら、自分の表現には何か曖昧《あいまい》なところがあるのだろうか?」
そう思った磯村くんは、もう「自分の行動のどこかに後めたさがあるんだろうか?」などということは、決して考えない磯村くんになっていました。
「分んないということは、バカなんだ」——磯村くんはこうして、「�日常�って鈍感だからいやなんだ!」という、いつものイライラパターンに入って行きました。そうすれば、確信だけは強まるということです。
 磯村くんの中では、�日常�がワン・ランク下げられて、自分の行動の必然性がワン・ランク、アップしました。お母さんは別に反対してる訳でもないんだけど、積極的に賛成もせず、従ってあきらめもしない。お母さんは、「なんとなく気分的に反対している。彼女は男の子を縛りつけておきたいんだ(多分=無意識的に)」というところに位置づけられました。磯村くんは、お母さんの頭の中が真っ白になってるということに気がつかなかっただけなのです。(もっとも、気がついてたって別にどってこともありませんけど)
 という訳で、磯村くんはお父さんを待ちました。
お父さんというのは、税理士をやってる人です。二、三の会社の顧問をしてると悠然と喰ってけるというようなお父さんは、だからほとんど、いつも頭の中が�白い霧�でした。だから磯村くんは、自分のお父さんが何を考えているのかよく分りませんでした。
 磯村くんが「ねェ、ダメ?」と言った時、お父さんは「家賃はどうするんだ?」とだけ言いました。
「うん」——少しだけ口ごもって、磯村くんは「バイトでも、するから……」とだけ言いました。
少し口ごもったのは、この件に関して磯村くんは、曖昧にしか考えていなかったからです。
 磯村くんは、「そこのところは相手の出方を見て決めよう」と思っていました。
月々の家賃と、敷金礼金とその他の引っ越しにかかる費用——そしてよく考えたら、それとは別に、毎日の生活費というものも要るのです。
「家賃はどうするんだ?」と訊かれた途端、磯村くんは「あ、こりゃダメなんだ」と思いました。「ダメなんだから自分で稼ぐしかない」と思ったのです。全部お金を出してくれるんなら、お父さんが「家賃はどうするんだ?」と訊く筈なんかないと思ったのです。
ところで勿論、磯村くんのお父さんは「こいつ、家賃の支払いなんかどうするつもりでいるのかなァ?」と思ったからこそ、「どうするんだ?」と訊いたのです。
磯村くんは、自分が過保護だとは思っていませんでした。少なくとも、自分が�過保護�だと言われやすい状態にあることだけは知っていましたが、自分の中には、過保護だからダメになった部分がないことぐらい知っていました。
だから、「いざとなったらバイトだってすればいいし」と思っていた磯村くんは、過保護という言葉を、そんなにも過剰に拒《こば》む必要はないと思っていたのです。
だから、「出してやるよ」とお父さんが言えば、「ありがとう」と言って素直にお金を貰うつもりでした。「自分で稼ぐんなら」という条件がつくんなら、自分で生活費ぐらい稼ぐつもりでした。
だから磯村くんは、「どうするんだ?」と訊かれて、「こりゃァバイトだ」と思ったのです。
そして、「バイトでもするから」と言い出して、「あ、ひょっとして、無理なこと言い出して、僕の発言にリアリティーがないって思われたらどうしよう?」と思いました。だから、「バイトでも、するから……」と言って、黙ったのです。
ところで、磯村くんのお父さんは、「子供が一人暮ししたいっていうんならそれくらいは出してやれるだろうけど、ところでこいつは何を考えてそんなことを言い出したんだ?」と思っていました。
思っていて分らないから訊いたのです——「家賃はどうするんだ?」と。
そうしたら、磯村くんはかなり本気そうに、口ごもりながら「バイトでも、するから……」と言いました。
磯村くんのお父さんは、「あ、本気なんだ」と思いました。「本気なんだ」と思って、磯村くんのお父さんは「本気だとすると、俺はどうするかなァ……」と考えていました。
父親の自分はこういう時にどうしたらいいのか、お父さんにはよく分らなかったからです。
�白い霧�の中でお父さんは、一生懸命、自分の脳味噌の果てにある、�真っ白な壁�の存在を探り当てようとしていました。
お父さんとお母さんの差というものは、磯村くんの家ではこのようなものだったのです。
 あ、それからついでに、磯村くんのお母さんは目鼻立ちのくっきりした丸顔で、体型もコロコロした丸型ですが、磯村くんのお父さんは、目鼻立ちのはっきりしない瓜実顔《うりざねがお》で、おっとりとした気品のある人ということになっていました。�お父さん�にリアリティーがないのは作者《わたし》のせいではないのです。
 お父さんをもう少し刻明にして、もう少し品をなくしたのが磯村くんのお兄さんの尚治くんです。
私に言わせれば、可哀想なのはこの人にトドメを刺します。
お父さんと磯村くんがお互いのリアリティーを探りあぐねて、妙に極端な�真実�の方に辿り着こうとしていた時、部屋に入って来たのがお兄さんです。
「なァに、お前、一人で暮したいんだって?」
お兄さんの言い方は、既にして嘲弄的《ちようろうてき》でした。磯村くんのことを�過保護�だと決めつけたがっていた人はこの人だったからです。
「なんだよ。いけない?」
お父さんの時とはうって変ったはっきりした口調で磯村くんは言いました。
お兄さんが嘲弄的なら、磯村くんは挑戦的でした。
「お前が一人暮しする必然性なんて、どこにあるんだよ」
お兄さんはそう言いました。
冷静な人間のこういう発言なら磯村くんだって少しはタジッとなったかもしれませんが、磯村くんは、自分のお兄さんの発言が鋭くなっている時は絶対に感情的になっている時だということを、長年の経験から知っていました。突っ張れば、勝てるんです。
「なんだよ、うるさいなァ。関係ないだろォ!」
磯村くんはお兄さんに言いました。
磯村くんのお兄さんが可哀想だというのは、こういう状況に追いつめられた時、お兄さんは、自分がどうすれば傷つかないかということを知っていたということなのです。
「そうかよ」
磯村くんのお兄さんは、顔の向きも体の動きもそのまんまにして、視線だけを�流し目�のように、下回りで横の隅っこの方に流したのです。少し、笑いました。いじけることが日常的になって、それがそのまんま平気で罷《まか》り通ることを許されると、人間というものはどうしようもなく暗くて卑屈な、権力的性格になってしまうのです。可哀想というのは、そういうことでした。
こういう状況になると、お父さんの言うことは決っていました。
「まァいいじゃないか」
お父さんはそう言いました。
お父さんはサッと�調停役�になる。そして、お父さんを調停役にする為に、お兄さんは物事の波風を立てる�敵役�になる。そういう風に相場が決っていたからです。
お兄さんとお父さんは、あまりにも性格が似すぎていました。顔だってやっぱり似すぎていました。しようがないから磯村くんはお母さん似になったというぐらい、お父さんとお兄さんは似すぎていました。
だから、お父さんが一番ひそかに畏《おそ》れていたのはお兄さんで、お兄さんが一番ひそかに畏れていたのはお父さんでした。
お兄さんとお父さんの話に深入りすると本筋からは少しズレるのですが、少しだけ重要なので、チョッとだけやりましょう。
 お父さんは、お兄さんの尚治くんが自分に似すぎているのをよく知っていました。お兄さんの尚治くんも、お父さんが自分によく似ているのを知っていました。ただお互いに、相手が自分によく似ていると思っているのだとは、お父さんもお兄さんも思ってはいませんでした。
お互いによく似ているから仲がいいというのは、勿論間違いです。でも、お互いが似ているからお互いに憎み合うというのはもっと間違いです。なんの目的もない時、おんなじ目的を二人揃って目指すというようなことでもない限り、別に人間は、自分に似ている他人を憎むほど、他人に対して接近したりなんかしません。お兄さんとお父さんは、自分の猜疑心《さいぎしん》の強さ、自分と同じだけの直感の鋭さが、自分と似ている他人にもやっぱりあるのかもしれないと思って、こわがっていました。
磯村くんのお父さんの若い時代、人間心理に関する直感のことを猜疑心と言っていましたから、こういうものはない方がいいのだと思っていました。
磯村くんのお兄さんの場合——現代ですが——直感というものは冗談と共に語られることになっていたので、冗談の介入しないようなシチュエーションでの直感は�暗い性格�と言って斥《しりぞ》けられていました。
という訳で、二人とも直感にだけは優れていたのですが、それは二人揃って、表向きにはないものになっていました。
 磯村くんのお兄さんのいるところで、磯村くんのお父さんは迂闊《うかつ》なことを、だから言わないようにしていました。何故か知らないけど、磯村くんのお兄さんが、お父さんの言い忘れたことを指摘することにだけは長《た》けているように、お父さんには思えたのです。
だから、磯村くんのお兄さんは、お父さんのいる前では、感情的にならないようにしていました。うっかり感情的になると、「どうも君は女性的だな」とお父さんが言い出しそうな気がして不安になったからです。
磯村くんのお兄さんは、クラシックのコンサートに行くぐらい教養があって、テニスだってやるし車の免許だってチャンと持っていましたが——どれもこれも、磯村くんとは関係のないものばかりですが——どれもこれも�一通りに人並みに�というレベルで、決してそれ以上の進歩とか発展は、努力のワリには望めない人でした。どうも、ヒョロッとして内股ぎみの、お父さんによく似た外見がそれを妨げているのではないかという気もしたのですが、それは言ってはならないことでした。
磯村くんは、脳の中が真っ白になったり脳の中に白い霧がかかったりすると、不安になったり落着かなかったりするタチなのですが、磯村くんのお兄さんは、それとは逆に、白い霧に包まれると落着く、というようなタイプでした。勿論、磯村くんのお兄さんだって現代の青年ですから、「なんとなく家は�白い霧�だなァ」というようなことを(もう少しむつかしい言葉を使って——たとえば�ぬるま湯�とか)考えることもありましたが、磯村くんのお兄さんが不安になるのは(ほんとにそれは滅多にないことですが)、「このまんまだと馴《な》れきっちゃうなァ」というようなことでしかなかったのです。「馴れきったところで別にどってこともないけどサ」というような結論に、この不安というものは達することにはなってなんかはいなかったのですけれども——。
磯村くんのお兄さんも、磯村くんのお父さんも、そして磯村くんのお母さんも、人間というのが孤独なものだということを知っていました。知っていてそれで不安になっていたというのではなくて、時々、意識の切れ目というのが表われた時、「ああ、やっぱり人間て孤独なんだな」って、知って安心するというような形で知っていたのです。
「だからなんだっていうの?」——磯村くんにしてみれば、そうとしか思えないような納得のしかたでした。磯村くんにしてみれば、「だって、孤独なんてヤじゃない」という、そういう形でしかこの�孤独�という言葉は出て来ないものだったからです。
磯村くんの一家は、ともかく、うまくやっていました。磯村くんがいれば、異分子のいる現代的な刺激に満ちた家庭でしたし、磯村くんがいなければ、現代的でほのぼのとした家庭になっていることは目に見えていました。
磯村くんにしてみれば、「出てくからね!」の一言が、ひょっとしてこのなごやかな家庭にとりかえしのつかないような�亀裂�というのを与えて、そうなったら家族のみんなが苦しんで、そうしたら自分もとっても苦しんで、というのが、よく考えたら、唯一苦悩のタネだったのです。勿論それは、磯村くんの取り越し苦労にすぎませんでしたけれども。
 磯村くんの家族はみんな�大人�でした。磯村くんのお兄さんは、磯村くんのお父さんの持っていない�感情的な部分�を代弁していましたし、磯村くんのお父さんは、磯村くんのお兄さんの気づいていない�怠惰な部分�を拡大して、うまくやっていました。
お兄さんとお父さんがそうやって男としての役割分担をやっているのなら、磯村くんのお母さんも、そういう親子を見て、そういうものを�男�だと思って、自分は�女�としての役割分担をキチンと果たしていました。時々はため息をつくことがあっても、それは人間が人間として生きていけば当然のことではありました。だって結局、人間というのは�孤独�なものなのですから。
 磯村くんの家族は、だから、みんなうまくやっていました。でも、誰も磯村くんには、その�大人�になっているなり方を教えてはくれないのでした。
磯村くんはその家の中でただ一人、「ああかもしれない、こうかもしれない」と、その自分以外の家族の�平然たる大人さ�を考えて、首をひねって、そして、はかない�批評�やら�諷刺�やらの攻撃を投げかけていました。でも、ひょっとして、「なんだか分んないけど絶対一人暮ししてみせる」と思っていたその磯村くんの確信を育ててしまった元凶《もと》というのは、そうした�団欒《だんらん》�からの決定的な仲間外れだったのかもしれません。
「人間はみんな孤独だ」と知っていた家族のみんなは、そういう中にいる磯村くんの�孤独�なんて知りはしなかったのです。勿論、磯村くん自身も含めて、誰一人として、磯村くんが孤独だなんていうことを考えてみた人はいませんでした。
 磯村くんが「本気で家を出たがってる」とは、家族の誰もが思ってはいませんでした。でも、磯村くんが本気で「僕は一人でもキチンとやれる」と言っていることだけは、もう家族の誰にも疑う余地がありませんでした。「それは分ったけれども」でも、だからと言ってどうしたらいいのか、それは誰にも分りませんでした。
「好きにやらせればいいじゃない」と言ったのは可哀想なお兄さんですが、ここで言う�可哀想�とは勿論、弟の愛し方も知らないし、「弟に好かれてない」と思いこんでいる、そっちの方です。
お兄さんは、「多分大丈夫なんだろう」と思っていたんですが、素直に弟を祝福なんかしたくないから、イヤミを言っただけなんです。
「好きにやらせていいんだったら誰も困らないわよ」と言ったのはお母さんです。
「なんか困ることでもあるの?」と言ったのは磯村くんです。
「別に困ってもいないけどサ」
「だったらいいじゃないよ」
枝葉のところで挙げ足の取りっこをするのは、この家では磯村くんとお母さんの二人だけです。
「まァ、きみの気持は分ったけれども、もう少し具体的に考えてみたらどうだ?」
そう言ったのはお父さんです。お父さんが�きみ�と言うのは、男の子の人格を認めた客観的な第三者的表現なのですが、でも、そのお父さんの子供に対する客観性はそこで尽きていました。�過保護にならない程度に過保護にする�のが現代の親子関係だと思っていた磯村くんのお父さんには(勿論お母さんもですが)、もう何年も前から、息子の薫くんに筋道立った意見を述べさせるだけの�客観性�とか�ゆとり�というようなものはなくなっていました。
男の子と向き合った途端、どこかお父さんの雰囲気に�オロオロ�といったような振り仮名が見えたのだとしたら、それは�保護�と�過保護�の境界線がどこにあるのか分らないという、自信のなさのせいでした。
 お父さんに「うん」と言った磯村くんには、別にそれ以上の�具体的な考え�などというものはありませんでした。�具体的な考え�というのがあるのだとすれば、どうすればこの一件を、メンドクサイゴタゴタ抜きで、如何に早く通してしまうかという、それだけでした。
頭の中の四隅を支える�白い霧の果て�に辿り着いたお父さんは、結局「�考え直してみたらどうだ�と言っておけば安心だ」と思っていただけなのですから、こんなところで足踏みしていてもどうしようもないのです。
果してお父さんは言いました。
「まァ、独立したければいつだって出来るんだから、そう早まって物事を考えることもないんじゃないかな」
「そうね」と、頭の中がデジタルになっているお母さんは、あと白いカードが二枚続けば�普通に物を考えられる状態�になりそうだと思って、うなずきました。「考え直す」ということだってあるんだと、冷静なお母さんは気がついたのです。
「うん……」
磯村くんは生返事をしました。「もう! みんな、まともに僕のことなんか考えてくれないんだからッ!」と、怒ったりするようなことはありませんでした。
視界の端っこにいて、そっぽ向いたまんまニヤニヤ笑おうかどうしようか考えている気の弱いお兄さんと視線を合わせたら�カッ�となるのは分っていましたから、そっちの方を見ないようにして、「そうだ、おばさんに電話してみよう」と、磯村くんは思ったのです。
突然ここに出て来た�おばさん�というのは、勿論、第一部の第二話に出て来た、あの磯村くんのお母さんのお姉さんにあたる独身の�おばさん�で、第三部の第四話では、この人の家の周りを榊原さんがほっつき歩いたりもしました。
おばさんの話に深入りする余裕は、ホント言ったらもうないのですが、道草ついでに、そっちにも行きます。磯村くんが独立するのに当って一番の功績があったのは、やっぱりこのおばさんだったからです。
 磯村くんは一晩寝て、別に�考え直す�こともしないで、次の日おばさんの会社に電話をしました。勿論おばさんは、エライ�キャリアウーマン�です。結局、このおばさんがこの一件を簡単に捌《さば》いてしまったのはなんなのかというと、おばさんが磯村くんとは�ごく近しい他人�だったという、ただそれだけの話でした。
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