川柳に、
足腰を鍛え鍛えてガンになり
というのがある。いっしょうけんめい運動をやったものの「気がついたら、ガンになっていた」というのだ。
今日は健康でも、明日は病気になるかも知れない。いまはピンピンしていても、いつガックリくるかも知れぬ。まさに、この世の「一寸先は闇」なのである。
世の中のこと、いや、自分のことでさえ、これからどうなるか、見当もつかない。オッカナビックリ歩いていくよりほかにしょうがあるまい。
しかし、明日のことは、誰にもわからないのだ。いくら心配したところで、なるようにしかならないのだから、くよくよしたところではじまらない。
それこそ「明日は明日の風が吹く」だろう。
明日のことは明日になったら考えればいいし、一寸先のことも一寸先に案じればいいのではないか。
だいたいが、この項「一寸先は闇」ということわざについて書くつもりだった。それが、書いているうちに、なんとなく「明日は明日の風が吹く」ということわざについて書いたほうがいいような気がしてきて、こんな原稿になってしまった。
楽屋裏をさらすようで恥ずかしいが、まこと「一寸先は闇」である。