織田作之助の小説『猿飛佐助』の主人公は、
「笑えば笑窪がアバタにかくれる」
と名乗るほどのアバタ面である。そんな醜男《ぶおとこ》に絶世の美女・楓が心を寄せるのだから、世の中、いや、小説は楽しい。
わたしも醜男だったので、
「もし佐助がアバタ面でなかったら……」
と思いながら、この小説を読んだものだ。もし佐助がアバタ面でなかったら、この小説は少しも面白くなかったにちがいない。
「アバタもエクボ」
ということわざは、
「愛する者の目には、短所も長所に見える。ヒイキ目でみれば、醜いところも美しく思える」
という意味であろう。ヒイキ目を戒めているようでもある。
しかし、わたしがカルチャーセンターの講師をやっていた頃、開講の際に必ず言うセリフは、
「カルチャーセンターの講師は、学校の先生とちがって、エコヒイキができるのです。だから、みなさんも、わたしが誰かをエコヒイキしたからって、文句を言わないでください」
というものだった。もちろん、冗談である。
でも、誰かをエコヒイキできない人生なんて、寂しい。いちどでいいから、誰かをエコヒイキし、
「惚《ほ》れたが、悪いか!」
と叫んでみたい。