電話の「もしもし」は「もうし、もうし」から転じたのではないか——と思われる。要するに「モノ申す」の「申す」である。
「もうし」
とくれば、
「どーれ」
と言う。講談などでおなじみ、道場破りの風景だ。
「拙者、○○藩浪人・何野誰兵衛と申すもの、当代の名人とお見受けした。ひとつ、お手合わせいただきたい」
とかナンとか名乗って試合に臨むわけだが、たまたま相手が留守だったりすると、
「出会え、出会え」
とたんに、声が大きくなる。相手がいないとわかっていれば、ぜったいに試合はおこなわれないし、試合さえおこなわれなければ負ける気遣いもないからだ。
「居ずば出会え」
ということわざは「いないんなら、出て来い」という意味である。もし、いるんだったら「三十六計逃げるにしかず」で、いちはやく逃げ帰る。
とかく卑怯な輩《やから》は、相手がいないときに限って、
「ああもしてやる、こうもしてやる」
と、言うことばかりデッカい。が、目の前に相手がいたりすると、そんなことはおくびにも出さない。