「痛くもない腹をさぐられる」
ということわざは、
「腹痛でもないのに、痛い所はここか、いや、ここかと、腹を探りまわされる」
といった意味である。ひじょうに気色わるい。
転じて、
「何もしていないのに、あるいは何の関係もないのに、あれこれ疑われる」
という意味になった。迷惑も、いいところだ。
この世には、たしかに痛くもない腹をさぐろうとする人たちがいる。何もしていないのに、あるいは何の関係もないのに、いかにも何かしているように、あるいは何か関係でもあるかのように、他人の周辺を嗅《か》ぎまわる。
でも、こっちは、なにも疚《やま》しいことをしているわけではないから、安心である。うるさく、迷惑千万にはちがいないが、そのぶん、相手を軽蔑することで、なんとか心のバランスを図っている。
「この世に軽蔑することのできる相手がいる」
ということは、考えようによっては幸せなことだ。それだけ、こっちが高尚な人間のように錯覚することができる。
だから、ホントウに困るのは、痛くもない腹をさぐられることではなくて、痛い腹をさぐられることではなかろうか。疑いをかけられて、こっちには思い当たるフシがあるのである。ホント、これが困る。
そう、たとえば浮気のように。
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