「芋の煮えたも御存じない」
ということわざは、
「芋の煮えたかどうかも判別できない」
という意味である。世間知らずの�お嬢さま�や�お坊っちゃま�をからかっている。
お嬢さまブームの次は、お坊っちゃまブームだそうである。が、当節の�お嬢さま�や�お坊っちゃま�は、テレビがつくったマヤカシだから、ホントウの意味での「箱入り娘」でも「箱入り息子」でもない。
言っちゃナンだが�民主主義のありがたさ�で、八百屋の娘も�お嬢さま�なら、魚屋の息子も�お坊っちゃま�なのである。トーゼンのことながら、大学教授の娘だって�お嬢さま�だ。
大学教授の娘はともかく、八百屋の娘が芋の煮えたのも判別できなかったら、どうにもならぬ。が、彼女に言わせると、
「あたし、焼き芋なら、知っているけど」
当節の�お嬢さま�や�お坊っちゃま�は、
「どのようにしたら芋が煮えるか」
ということはご存じないようだが、
「どのようにしたら子供ができるか」
といったことは知っているらしい。なんともマセたことである。
そういえば、
「芋 蛸《たこ》 南瓜《なんきん》」
ということわざもあった。女性の好きな食べものの一つ、いや、三つだ。