両人対酌山花開
一杯一杯復一杯
我酔欲眠卿且去
明朝有意抱琴来
という李白の詩を、コラムニストとして知られた故高木健夫先生は、
差しで飲むうち開いた花じゃ
そこで一杯もう一杯じゃ
酔うた眠いぞバイバイじゃ
明日も来るなら琴持って来いや
というふうに訳された。けだし名訳であろう。
「いやいや三杯」
ということわざは、酒をすすめられて、
「いや、もうけっこう」
と辞退しながら、何杯も飲むさまを皮肉っている。口では遠慮しながら、実際は厚かましいことのたとえである。
「いやいや三杯十三杯」
とも言うし、
「いやいや三杯 逃げ逃げ五杯」
とも言う。そうして、ひどいのになると、
「いやいや八杯おお三杯」
というのもある。
ところで、わが悪友は、李白の「一杯一杯|復《また》一杯」を、
「一杯一杯腹一杯」
と読んだ。いや、もう一人の悪友は、
「一杯二杯また三杯」
とも読んだ。こうなると、底なしである。