たとえば「観音義疏」では火難・水難・羅刹難・王難・鬼難・枷鎖難・怨賊難、たとえば「薬師経」では……と書きかけて、メンドくさくなってきた。岩波の『広辞苑』をまるうつしにしたところで、しょうがない。
もともとは仏教の言葉である。経典によって内容は多少異なるが、病気、火災、風害、水害、侵略、内乱、日・月食が「七難」で、生、老、病、死、愛別離、怨憎会、求不得、五陰盛が「八苦」だそうな。(ところで、五陰盛ってナンだ?)
要するに、みんなまとめて、あらゆる災難・苦労のことだろう。災いはともかく、仏教では生まれるのも死ぬのも苦しみ、会うのも別れるのも苦しみと考えているようだ。
その七難八苦を、
「我に与え給え」
と、三日月に祈った男がいる。戦国時代の武将・山中鹿之介幸盛だ。たしか太宰治だったと思うが、この故事を例にひいて、
「いくらナンでも七難八苦では多すぎる。せめて六難七苦ぐらいにならないか」
と書いていた。
ところで、
「色の白いは七難かくす」
ということわざに出てくる「七難」の「難」は「難点」すなわち「欠点」のことである。顔、とくに女性の顔の色が白ければ「ほかの欠点は苦にならぬ」という意味だ。