「カジュアル・セックス」
というんだそうな。愛のないセックス——その場限りの遊びである。それについて、
「モラリストが何と言おうと、それでも快感は得られる」
と言ったひとがいる。雑誌『コスモポリタン』の編集長だったヘレン・ブラウンだ。
ヘレンは『恋も仕事も思いのまま』(矢倉尚子・阿部行子訳、集英社刊)という本のなかで、
「どんなセックスであろうとないよりはまし、というのがわたしの意見だから」
と言っている。モラリストのわたしに言わせれば「そんなものかなあ」といったところである。
その場限りの遊びでも、そこに、そこはかとなき情緒が欲しい。それがなければ、いくらナンでも快感は得られまい——というのが、わたしの考えだが、そんなことばかり言っているから、わたしは女のひとにモテないのか。
「馬には乗ってみよ 人には添うてみよ」
ということわざは、そのへんのことを言っているのではなかろうか? 馬は乗ってみなければいい馬か悪い馬かわからないし、人も一緒になってみなければどんな人物かわからない。セックスだって……と書きかけたが、ヘレンのように言いきれるのは、人生の、よほどの達人でなければ、無理だろう。その場限りの遊びが、その場限りでなくなるんなら、わたくし、なにも言うことはない。