「恋人」
というのは、もともとは、相手がどう思っていようと、こっちが恋しく思っている人のことを言うんだそうな。慶応義塾大学教授の井口樹生さんが『知ってるようで知らない日本語』(ゴマブックス)に、
「だから、勝手に�恋人�などにしてくれるなといっても�恋人�にされたほうは文句が言えない」
と書いている。
しかし、そういうことならば、
「自分には、たくさんの恋人がいる」
と言うことは、
「自分には、相手がどう思っていようと、こっちが恋しく思っている人がたくさんいる」
ということになるのだろうか。なんだかバカらしくなってきた。
それにしても、こっちが恋しく思うたびに、相手からも恋しく思われたら、人生、どんなもんだろうな? 案外、面白くもナンともないかも知れぬ。
正直な話、いまみたいに、思う人とは一緒になれないで、何とも思わない人と結ばれたりしたほうが、紆余《うよ》曲折があっていいのではないか。男女の縁まで思うようになったんじゃ、ホント、神様に申しわけない。
思う人には思われず、思わぬ人に思われる。
それでこそ「ひとつ、やってやろう」という気になるのである。