「火中の栗を拾う」
ということわざは、
「だれが猫の首に鈴をつけるのか?」
と言うようなときに使われるのだ——とばかり思っていた。要するに、人の利益のために、あえて危険を冒すことのすすめである。
ところが、ラ・フォンテーヌの『寓話』に、猫のラトンが猿のベルトランにおだてられ、囲炉裏の中の栗を拾ってやる話があり、それに由来しているんだそうな。猫のラトンは大ヤケドをし、猿のベルトランは労せずして栗を食べるところから、人の利益のために、みずからを危険にさらすことの愚を笑っている。
「だれが猫の首に鈴をつけるのか?」
という勇気ある話の主人公は、鼠である。
「ただ血気にはやるだけのこと」
というバカな話の主人公は、猫だ。
猫と鼠を比べれば、本来なら猫のほうが強いのに、こうしてエピソードを二つ並べてみると、強い者と弱い者が逆転してしまうところが、面白い。
——とはいうものの、先輩を性悪な女から引き離そうとして、みずから性悪な女に身も心も捧げるハメになってしまうようなケースも、やはり、
「火中の栗を拾う」
というのだろうか? あれ、ひょっとしたら、
「火中の栗と栗鼠[#「栗と栗鼠」に傍点]を拾う」
というのではないかいな?