「金が目当てなら金が目当てと、はじめっからそう言ってくれれば、なにもこんなに夢中にならなかったのに、たまに情などみせるもんだから……」
というのは、だいたいふられた側の言い草である。ふったほうといたしましては「金が目当てだった」なんて、そんなはした[#「はした」に傍点]ないこと、言えるわけがない。
そんなこと、おくびにでも出そうものなら、相手はテキメンに通ってこなくなるだろう。だから、そこのところは、金が目当てであるような、ないような……。
いや、ホントは金が目当てなんだけれども、いかにも金なんかどうでもいいようにみせかけて、
「好きよ」
と言ってみたり、
「好きだよ」
と言ってみたりするのである。言われて、相手はまた通う。
昔は、
「傾城《けいせい》の恋は誠の恋ならで、コイはコイでも金持ってコイ」
と言ったそうな。傾城すなわち遊女なり。
「金の切れ目が縁の切れ目」
ということわざは、
「金がなくなったときが関係のなくなるとき」
という意味で、旦那と遊女のような、金銭でつながった関係のはかなさを言っている。