小説家の直木三十五は、本名を植村宗一といった。三十一歳のときに、植村の「植」を旁《つくり》と偏《へん》に分けて「直木」とし、三十一歳だったから、
「直木三十一」
と名乗った。
以来、トシをとるたびに、ペンネームも「三十二」「三十三」と数がふえ「三十四」をとばし「三十五」で定着した。ホント、このままいったら、
「いま、ナンドキだあ」
ということになりかねない。
横浜の富岡にある住居跡には、石碑が建っていて、
「芸術は短く貧乏は長し」
と彫ってある。これは、もちろん、
「芸術は長し人生は短し」
という古代ギリシャの医者ヒポクラテスの言葉のもじりだ。
いま、直木三十五は、小説『南国太平記』の作者としてよりは、大衆文壇の登竜門である�直木賞�のほうで知られている。やっぱり、芸術は短いみたいである。
「帯に短し襷に長し」
ということわざを、
「命みじかし襷に長し」
と、もじったひともいる。べつに意味はないけれど、意味のないところが、語呂合わせである。