訳せば、
「カラダが健康であれば、ココロもそれに伴って健康である」
ということにでもなるのだろうか? ローマの詩人ユーエナーリスの言葉だそうだ。
高校時代、体育の教師あたりにそう言われると、虚弱な——というより運動神経の鈍いわたしは、モーレツに腹が立った。ホントに、
「授業をサボって野球ばっかりやっているような奴らにココロがあるのか!」
といった気持ちだった。戦争中は何かというとわたしたちにビンタをくらわしていた体育の教師が、戦後はいちはやく野球部の顧問かなにかになってイイ気になっていたのが気に入らなかったのかも知れぬ。
のちになって、
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
という言葉が、
「身体が不健康であれば健康な精神の持ち主にはなれない」
といった程度のことであり、ひいては、
「健全なる精神が健全なる身体に宿ったら、なあ」
という願望につながることを知ったときの喜び! あの体育の教師は、身体こそ健全だったかも知れないが、
「精神は健全だったわけじゃないんだ」
と、わたしは、かなり健全じゃない身体で、健全じゃないことを考えていた。