そば屋に電話して、
「遅いけど、まだ?」
と催促すると、打てば響くように「ただいま出ました」という返事である。それが、出ていた験《ため》しはない。
それなのに、
「紺屋の明後日」
ということわざはあるのに、
「そば屋のただいま」
ということわざがないのは、なぜだろう?
「紺屋の明後日」
ということわざは、紺屋に染めものを誂《あつら》えて「いつできるか?」と訊くと、きまって「明後日」と答えるところから、アテにならないことのたとえとして使われている。約束の「明後日」に行ってみると、まだできてなくて、重ねて「いつできるんだ?」と訊くと、やはり「明後日」と答えるのである。
このことわざが生まれた背景には、紺屋が民衆の生活に密着していたこともあるけれど、紺屋の仕事が天候に左右されがちだったことも忘れてはならぬ。紺屋としては、ホントに明後日には仕上げるつもりだったのだが、急に天気がかわってしまって、どうにもならなかったにちがいない。
それに、わたくし、このことわざは「紺屋」と「今夜」がひっかけてあるような気がしてならぬ。今夜[#「今夜」に傍点]だから、明後日……。
要するに、駄洒落ですね。