「紺屋の白袴」
ということわざが、
「医者の不養生」
「坊主の不信心」
「論語読みの論語知らず」
といったことわざと同じように「他人のためにばかり飛びまわって、自分の身がなおざりになること」や「他人に立派なことを教えても、わが身は何も実行できないこと」のたとえに拡大解釈されるようになったのは、いつごろからだろう? わたしとしては、このことわざは、
「昔、紺屋が多く白い袴をはいていたのは、染色の液を扱いながら、白い袴にシミひとつつけないという、職人の心意気をあらわしたものだ」
という説に与《くみ》したい。
紺屋といえば、落語の『紺屋高尾』を思い出す。あの円生が、
「昔ありまして、今とんと聞きませんのが、恋わずらいという」
とやったアレだ。円生は、紺屋のことを、
「上方へまいりますとあれをこんや[#「こんや」に傍点]といいますが、江戸ではこうや[#「こうや」に傍点]といいます」
と説明している。
言っちゃナンだが、晴れて三浦屋の高尾太夫と所帯をもった久蔵が、シミのついた袴なんざはいていた日にゃサマにならない。ここは、やっぱり白い袴をはかしたいところだ。