「死んだら、極楽ではなくて、地獄へ行きたい」
と言ったひとがいる。わたしの師匠の高木健夫先生である。
新聞記者だった先生は、死ぬ間際になって、
「極楽へ行ったって、取り澄ました奴らばかりで退屈だろ? その点、地獄のほうには我利我利亡者やらスケコマシやらがいて、そいつらを取材して歩いたら面白いだろうなあ」
と言い出した。どこまでも洒脱《しやだつ》なひとで「たぶん大宅壮一もいるだろうから、いっしょに取材するか」ともおっしゃった。
ことわざに、
「地獄の沙汰も金次第」
という。悪業がたたって地獄へ行き、そこでエンマ大王の裁きを受けなければならなくなったとしても「金さえあれば、どうにかなる」という意味だ。
このことわざは、この世ばかりか、あの世までも金がものを言うことを教えていて、どぎつい。これでは、地獄の沙汰どころか、狂気の沙汰だ。
それにしても、清貧といってもいいくらい、高木先生には金がなかった。だから、せっかく地獄にたどりついても、
「金のない奴の希望を叶えてやるわけにはいかぬ」
と、エンマさまに極楽へ追っぱらわれてしまったのではないか——と、弟子のわたしは心配である。