「おしゃかになる」
ということばがある。東京の鋳物《いもの》工場で、火が強すぎたためにできた不良品のことを言ったのが始まりらしい。
東京の職人は「ヒ」を「シ」と発音するので、
「火が強かった」
と言うつもりでも、
「シガツヨカッタ」
というふうに聞こえてしまう。これが縮まって「四月八日」となり、四月八日はお釈迦さまの誕生日なので、いつのまにか「おしゃかになる」が不良品のことになってしまった。
それこそ、
「お釈迦さまでも気がつくめェ」
と言いたいところだが、こっちのほうは歌舞伎『与話情浮名横櫛《よわなさけうきなのよこぐし》』で切られ与三が言うセリフだ。
「釈迦に説法」
ということわざは、仏教の祖であるお釈迦さまに説法をするところから、「身のほど知らず」のたとえである。専門家相手に素人があれこれ意見を述べるときに使われる。
うっかりエラそうなことを言ってしまった場合でも、
「いやあ、これは�釈迦に説法�でした」
と言えば、たいがいの人は笑って許してくれるだろう。使いようによっては、たいへん便利なことわざだ。
これも、釈迦に説法かな?