「袖擦り合うも他生の縁」
と言うこともある。道を行くとき、おたがいに見知らぬ人と袖が触れ合うのも、前世からの約束ごとである。
「他生」は「今生」に対する「他生」で、前世のことでもあり、来世のことでもある。この「他生」を「多生」と書けば「何回も生まれ変わること」で、
「袖振り合うも多生の縁」
「袖擦り合うも多生の縁」
と書いたところで、べつに意味は変わらない。
ただし、
「多少の」
と書いたら、これは、やはり、まちがいだろう。そりゃあ、おたがいに見知らぬ人と袖が触れ合うのも、多少は縁あってのことにちがいないけれど、ひどく意味が軽くなる。
言っちゃナンだが、通勤電車の中で痴漢行為を働き、警察に突き出された男が居直ったようなときに口にしそうな感じである。頭かなんか掻《か》きながら、
「いえ、そのォ、あんまり女房に似ていたもんで、つい……」
バカバカしい。誰が通勤電車の中で自分の女房なんかに手を出すものか!
そういえば、東京は上野公園近くで、
「ここでは痴漢行為をしないでください」
という看板をみつけた。あれ、ここでしないで「どこでやれ」というのだろう?