商人の子だったから、
「目先の利益ばかり追いかけるな」
と教わりながら育った。それを言うとき、明治生まれの父親は、好んで、
「損して得取れ」
ということわざを口にした。
「たとえば、ここにタライいっぱいの水があるとする。この水を自分のほうに掻《か》い込もうとすると、ホラ、水はみんな、向こうに行ってしまう。逆に、向こうのほうに押しやれば、みろ、水はこっちに集まるじゃないか」
神奈川県の在にある五年制の尋常小学校を卒業して奉公に出され、いまでいう少年店員を経て金物屋になった父は、東京府立高等女学校中退の母と結婚して、それこそ爪に火をともすような生活をしながら、九人の子をつくり、八人を成人させた。何年か前に八十九歳で亡くなったが、
「働くということはハタをラクにすることだ」
というのも、父の口癖だった。
「目先だけのことを考えて利益を上げようとすると、かえって大きな損をすることがある。反対に、いまは多少の損をしても、長い目でみれば、得をすることもある」
父に言われて「けっきょくは得をしようと考えているわけじゃないか」と反発した日が懐かしい。が、父は、こんな生意気な倅《せがれ》を育てて「なんだか損したみたいだな」と考えていたのではないだろうか。