「兄弟は他人の始まり」
という。同じ血を引く兄弟だって、いずれは他人になるのである。
「夫婦は他人」
という。二世を誓った夫婦も、もともとは他人なのである。
したがって、他人が他人であることに不思議はない。他人が他人じゃなかったら、気持ちわるいみたいなもんだ。
「他人は時の花」
ということわざは、
「他人が見せてくれる好意は、一時咲いてすぐに散る花のようなもので、そう長くは続かない」
といった意味である。兄弟だって、夫婦だってアテにならない世の中だもの、他人がアテにならないのはアタリマエである。
他人が他人であることについては、映画『男はつらいよ』で、あの寅さんが言っている。
「俺とお前は違う人間に決まってるじゃねえか。早え話が、お前がイモ食ったって俺のケツから屁が出るか」
そう言えば、兄貴がイモを食ったって、わたしの尻から屁が出るわけじゃない。女房がイモを食ったって、わたしの尻から屁が出るわけでもない。
人間、どんなに親しくしていても、しょせんは他人同士なのである。他人同士だからこそ「仲よくしたい」という考えも成り立つ。