たとえば亭主が「こうしよう」と思っているときなど、長年連れ添った女房なら「亭主が�こうしよう�と思っているだろう」と思うことぐらいできるだろう。逆に、女房が「ああしよう」と思っているときも、長年連れ添った亭主なら「女房が�ああしよう�と思っているだろう」と思うことぐらいできる。
そこで、
「亭主が�こうしよう�と思っているんなら、ああしてやれ」
「女房が�ああしよう�と思っているんなら、こうしてやれ」
と思うこともできるのである。そこは、やはり長年連れ添った成果(?)だ。
ことわざに、
「亭主の好きなことを女房は嫌う」
というのがあるが、こういう夫婦は、どんなカップルなんだろう? おたがいに相手の考え方を熟知しているうえに、おたがいにやること、なすこと、相手がイヤがるほうへイヤがるほうへ——と仕向けているところは、やっぱり似てるんだ。
言っちゃナンだが、こういうのもまた「似たもの夫婦」というのだろうか。
そういえば、トルストイが言っていた。
「幸福な家庭はみな似かよっているが、不幸な家庭はそれぞれにちがっている」
さて、わが家は、似てるかな? 似てないかな?