「恐妻」
という。断るまでもなく、いまは亡き評論家・大宅壮一さんの造語である。
昭和二十年代後半、群馬県の青年団幹部が講演依頼のため大宅邸を訪ねた際、
「群馬県を象徴するような観光名物を考えてくれませんか」
と頼んだ。とたんに、大宅さんは、カラッ風をカカア天下で有名な群馬県出身の元NHK会長・阿部真之助さんの名を挙げ、
「彼を会長に恐妻会を結成し、恐妻碑を建てて、そばで素焼きの皿を売ったら、どうだ?」
と提案した。「それで、日ごろから女房に痛めつけられている男どもは、皿に女房の名を書いて、この碑にぶっつけるんだ」
失礼ながら、
「蟷螂の斧」
ということわざを思い出した。弱者が自分の力をわきまえず、強者に刃向かうさまである。無謀で、身のほど知らずのおこないをすることのたとえでもある。
大宅さんの、せっかくの案も、実現はしなかった。地元の婦人会のモーレツな反対に遭ったのである。
新聞の投句欄で、
蟷螂の生くることとは怒ること
というのをみつけた。作者の名は忘れたが、選者の名は覚えている。鷹羽狩行さんである。鷹羽さんも、恐妻家なんだろうか?