山口瞳さんの短篇小説『窮すれば』に、
「そのあと、私たちは、夫婦ではあっても男女ではなくなった」
という文章がある。なにやらイミシンである。
これを読んで、
「夫婦なら、男女のはずじゃないか」
と言いきることができる人は、幸せなんだろう。人間、夫婦であっても男女でないことは、間々ある。
「だったら、夫婦の意味がないだろう」
と言うに至っては、どうにもならない。この世には、
「男女ではないから、夫婦でいられる」
という仲だってあるのだ。
ことわざに、
「遠くて近きは男女の仲」
という。男女の仲は「意外に結ばれやすい」ともとれるし、あるいは「遠いようにみえて、近い」ともとれる。
昔は、これに
「近くて遠きは田舎の道」
とつづけたものだ。ホント、あのころは、ものを思わなかった。
いまだったら、
「近くて遠きは夫婦の仲」
とつづけるだろう。夫婦の仲は「意外に結ばれにくい」ととってくれても結構だし、あるいは「近いようにみえて、遠い」ととってくださっても、構わない。