いいか、わるいかは別として、妻子のためにヤミクモに働いてきた。働くことが妻子の幸せに通じると信じて、いっしょうけんめい働いてきた。挙句の果てが定年で、なんと�粗大ゴミ�扱いである。
そんなときだ。彼の心の底に「いっそボケることができたら」という気持ちが湧きあがるのは……。
「ボケは、神様がくれた贈り物」
と言ったひともいる。ボケてしまえば、会社で辛かったことも、妻子の冷たいことも、いっぺんに忘れてしまえるのではないか。
「女のひとに比べて、男のほうがボケ老人になる可能性が高い」
という話を聞くたびに、そんなことを考えてきた。わたしもまた、似たようなもんである。
「年寄りの冷や汗」
ということばを耳にした。もちろん「年寄りの冷や水」のもじりである。
「年寄りの冷や水」
というのは、老人が若者のように冷や水を飲んだり、浴びたりすることだ。どうしたって無理が生じる。その結果、冷や汗をかくのが「年寄りの冷や汗」だろう。
ボケてしまえば、冷や汗も冷や汗と感じない。若いときと同じように働けるつもりでいて、げんに働いてみせる。それが、残念ながらカラまわりとも知らずに……。
こういうのを「ボケの頑張り」という。