明治の文豪・夏目漱石が、東京帝国大学の講師だったときのことだ。講義中、いつでも懐手をして聴いている学生がいる。たまりかねて漱石が注意したところ、隣の席の学生に、
「先生! この人は小さいときにケガして、手がないんです」
と教えられ、漱石先生、とっさに、
「こっちも�無い知恵�を絞って講義しているんだから、たまにはきみも�無い腕�ぐらい出してくれたまえ」
と、やり返したそうな。
この話、最近、モデルが名乗り出たことですっかり有名になってしまったが、さて、当節だったら�差別�問題がからみ、果たして冗談(?)で済んだか、どうか?
ところで、漱石が、
「無い知恵を絞って」
と言ったのは、もちろん、
「なにかしようとしても、ものがなかったり、能力がなかったりしたら、どうにもならない」
といった意味の、
「無い袖は振られぬ」
ということわざをもじってのことである。言ってみれば、まあ、無いものねだりでもあるわけですね。
このことわざ、もとをただせば、別れに際し、名残を惜しんで袖を振ろうにも、その袖がなくて、振ることができぬ——という悲痛な意味ではなかったか?