「伊達の薄着」
という。見栄を張る者が、着ぶくれてカッコわるくなるのを嫌い、寒いときでも無理して薄着をすることである。
「伊達」は、現代風に言えばダンディだろう。ダンディであるのも、これで辛いものだ。
「伊達」が、NHKテレビでやっていた大河ドラマ『独眼竜政宗』にちなんでいる——ということについては異論がある。伊達政宗たちがハデな服装で人目を引いたことは事実だが、ことわざの「伊達」は、動詞�立つ�の連用形の�立て�が濁ったものらしい。
言っちゃナンだが、冬の日に薄着をしてても、男が立たなきゃ�伊達�とは言わないのである。ますます男は辛い。
しかし、夏の薄着なら、なにもダンディでなくったって、できる。そこで、
「夏の伊達は貧者もする」
ということわざが生まれた。この場合の「貧者」は、文字どおり�貧乏人�というふうに解釈するのも構わないが、ちょっと気どって�心貧しき者�というふうに解釈したら、どうか?
できる見栄なら、誰だって張る。できる我慢なら、誰だってする。見栄にしろ、我慢にしろ、並みの者にはできないことでなければ、価値がない。
わたしが据え膳食わないのも……なに、据え膳などにお目にかかれないからだ。