「酒の上の過ち」
ということが許せない。酒を飲んで過ちを犯すような奴に、酒を飲む資格なんてない。
飲めば飲むほど、心が澄んでくる。わたくし思うに、わたしの胸の底には、ホントは、じつにきれいな心があって、そいつは、もっと飲まなければ顔を出してくれないのである。
「生酔い本性違わず」
ということわざは、
「たとえ酒に酔っていても、本来の性質は変わらない」
ということである。この「生酔い」の「生」は「少し」ということだが、転じて「ひどく」という意味にもなるらしい。
どうして「少し」が「ひどく」に転じるのかは、柴田武さんの『知ってるようで知らない日本語』(ゴマブックス)にも出ていない。
この「生」は生意気の「生」なのか。
とにかく、生酔いとは酔いつぶれない程度に酔うことだ。ホント、酔いつぶれてしまっては、本性も、なにもない。
いや、そうじゃなかった。わたしの本性は、それはきれいなものなのだが、こやつ、酔いつぶれない程度に酔っていたんでは、顔を出してくれないから困っていたんだった。
※[#歌記号、unicode303d]お酒のむ人 しんから可愛い
呑んでクダまきゃ なお可愛い
と都々逸にも言う。このクダは「くだらない」のクダか。