「ならぬ堪忍するが堪忍」
ということわざを、
「奈良の観音、駿河の観音」
と覚えていた。そうして「どうして奈良の観音が駿河の観音なんだろう?」と悩んでいたんだから、世話はない。
「日本語に訳すと�狡猾�という行為だ」
とも教わった。いわゆるカンニングだ。
そこで、試験前、英語の教師は言ったものだ。
「いいか、この�狡猾�という行為をやってはイカンぞ」
しかし、わたしたちは、銘々腹の中で呟いていた。「なあに、ならぬカンニング、するがカンニングだ」
ところで、
「忍の一字」
という小噺があるのを、ご存じか? 一人が、
「忍の一字は……」
と言いかけたら、誰かが、
「ニンなら二字じゃないか」
と、まぜかえしたのである。やむをえず、
「忍は�忍ぶ�だ」
と説明すると「シノブなら」と、シ・ノ・ブと指を折ってみせ「三字だ」
しょうがなくて、
「堪忍の忍」
と言ったら、こんどは、
「カ・ン・ニ・ンなら、四字だ」
と笑ったので、堪忍できずに殴っちゃった。