「手鍋提げても」
という。惚れた男が相手なら「つましい暮らしも厭わない」という女心を形容した言葉だ。
なぜか夫婦のことを言う場合にはナベが引き合いに出される。ナベは所帯道具の代表なのだろうか。
「割れ鍋に綴じ蓋」
というのも、似合いの夫婦のことだろう。ひびの入ったナベには、それにふさわしく修繕したフタがついていて、うまく調和がとれている。
夫婦だって、おたがいに欠点はある。その欠点を仲よく補い合って、はじめて夫婦は一人前になる。
これが、おたがいに欠点のない夫婦だったら面白くないだろうな。おたがい、欠点だらけで、よかったね。
それは、まあ、それとして、
「似合う夫婦の鍋の蓋」
ということわざは、そのナベにピッタリのフタがあるように、
「その夫には、ピッタリの妻がいる」
といった意味である。いや、この場合、ナベは妻で、フタは夫だから、
「その妻には、ピッタリの夫がいる」
と言うべきか。
「夫婦は従兄弟《いとこ》ほど似る」
ともいう。夫婦は一緒に暮らしているうちに、考えも、形も似てくるのだろうか。