古来、男の詩人たちは、ネコを女性にたとえた。ヴェルレーヌもコクトオも、近寄ろうとすれば逃げてゆく女性をネコに見立てた。
「そのくせ用がないときは向こうからやってくる」
同じ愛玩動物でも、イヌのほうは人間に仕える動物として飼われているが、ネコは人間が仕える動物として飼われているみたいだ。いやいや、ネコには「飼われている」といった意識さえないのではないか。
ことわざでも、
「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」
というのに対し、
「猫は三年の恩を三日で忘れる」
といわれるように豪快だ。一年飼われたぐらいじゃ、一日で忘れてしまうかも知れぬ。
「犬は人に付き 猫は家に付く」
ともいう。イヌは飼い主になつくのだが、ネコは住居になつくのである。
そんなところも、男の詩人たちが、女性をネコに、いや、ネコを女性にたとえてきた理由だろう。ネコに、いや、女性に、オノレの人柄のよさを強調したところではじまらぬ。
イヌは忠実だが、ネコは驕慢《きようまん》だ。その驕慢さに憧れて、ネコと暮らす女性がいる。彼女たちには、男の優しさがもの足りない。
たとえば「犬死」とは言うが、まちがっても「猫死」とは言わない。そこも、イヌは男に似て、ネコは女に似ている。