原稿を書きはじめたら、途中でやめることができない。電話などで中断しようものなら、また最初から書きなおしである。
短い文章だから、
「一気に読んでもらいたい」
と思う。そのためには一気に書かねばならぬと信じている。一気に書くからには、
「前もって構想を練っておいたほうがよい」
ということも、わかっている。が、わかっているからといって、その通り実行しているわけではない。また、できるものでもない。そこが、理想と現実のちがいだ。
「乗りかかった舟」
ということわざは、いったん岸を離れたら、中途で下船できないところから、ものごとを始めた以上は、事情がどう変わろうと、行くところまで行こうとすることのたとえである。
トーゼンのことながら、
「何事も、最後までやり通せ」
という積極的な意味が隠されている。同時に、
「やりかけたことだから、しょうがない、最後までやるか」
といった消極的な意味もあるように、わたしには思える。
舟は、とかく女性にたとえられる。そういう方面から、
「乗りかかった舟」
という言葉を眺めたら、ガゼン、いろっぽくなる。もちろん、途中で下りてはならぬ。