「腹がすいてもひもじゅうない」
というのは、浄瑠璃『伽羅先代萩』で、乳母・政岡の子の千松が言うセリフである。幼君・鶴喜代の毒殺を恐れ、政岡が常の御膳を遠ざけているもんだから、鶴喜代につきあう千松も堪ったものじゃない。
腹がへっても、
「腹がへっては戦ができぬ」
と言うわけにはいかない。やせガマンして、
「武士は食わねど高楊枝」
と、ミエを張らねばならぬ。
しかし、まあ、常識で考えてみても、
「腹がすいてもひもじゅうない」
というのは、矛盾している。敵に襲われたら、いかに鶴喜代・千松とはいえ、空腹のままでは戦えまい。そこで、
「茶腹も一時」
というのは、どうだ? ホント、茶を飲むだけでも、しばらくの間はひもじさを防ぐことができるものだ。
戦争中、中学校には「教練」というものがあった。ロクなものも食ってないのに、銃をかついで、無闇矢鱈に歩かされたものだ。
腹がへっているから、すぐにへばる。アゴを出していると、教官がエラそうな顔をして、
「一歩も歩けない者は前へ出ろ」
と言う。
前へ出たら、殴られた。一歩も歩けない者が前へ出られるわけがない——というのである。