「日にち薬」
という言葉を聞いた。なにごとも「時間が解決してくれる」というのである。
悲しみも、怒りも、時がたてば忘れる。憎しみさえも、いつのまにか風化してしまう。まことに歳月こそは万能薬だ。
赤ん坊も、三年たてば三つになる。これだって、月日がモノ[#「モノ」に傍点]を言う例だろう。
「日陰の豆も時が来れば爆ぜる」
ということわざは、
「日の当たらぬ所に育った豆でも、時期が来れば自然にサヤが割れて、はじけるようになる」
という意味である。ここでも日にちが薬になっている。
もっとも、このことわざは、男女ともに時が来れば自然に色情にめざめることのたとえである。いつまでも「子供だ、子供だ」と思っていた娘が、ある日、突然婚約者を連れてくるようなものだ。この場合の日にちは、親にとっては劇薬に等しい。
そういえば、娘は「学校へ行く」とかナンとか言って、しょっちゅう出歩いていた。たぶん洋裁かナンか教わっているんだろうと思っていたら、なんと色恋にウツツを抜かしていたのか……。
思わず、カッとなって、
「そんなこと、どこで教わった?」
と怒鳴ったら、娘のいわく、
「教わらなくても、わかってる」