「開眼《かいげん》」
という。新しくできた仏像や仏画像を供養し、眼を入れて仏の霊を迎える儀式のことである。
眼すなわち魂だ。したがって、仏像や仏画像の眼は最後に入れる。眼のない仏像、仏画像は、魂のない仏像、仏画像も同然と考えられていた。だから、
「仏造って魂入れず」
ということわざは、
「仏造って眼入れず」
と言われることもある。いずれにせよ、
「仏像、仏画像をつくっておきながら、肝心な魂を入れない。物事をほとんど成し遂げながら、最も大切なことが抜け落ちている」
といった意味だ。
生きていくからには、
「神も仏もあるものか」
と言いたいときもあれば、
「仏ほっとけ 神かまうな」
と言いたいときもあろう。それも、これも、仏を造っても魂を入れないからではあるまいか。なにごとも、詰めに心したい。
仏についてのことわざでは、
「仏も昔は人なりき」
というのも捨てがたい。お釈迦さまも昔は人間だったのが、修行によって仏になったのである。
死ぬことを「成仏」と言うが、死ぬだけで、われわれ、果たして仏になれるか、どうか。