「仏の顔も三度撫づれば腹立つ」
というのが、もとの形である。まちがっちゃ困るが、腹を立てるのは、撫でている人間ではなくて、撫でられている仏さまのほうだ。
「顔を撫でられる」
というのは「バカにされる」ということだ。
映画なんかで、ヤクザが相手の顔を撫でてケンカを挑発しているシーンをみたことがあるだろう。
どんなにおとなしい人でも、悟った人でも、たびたび無法なことをやられれば、怒る。怒って、ケンカを買って、負けるかも知れないが、怒ることは怒る。このことわざは、
「だから、相手がおとなしくても、甘くみて増長しては行けない」
という意味にも、
「だから、他人の親切にすがるのも、一度か二度が限度だぞ」
という意味にもとれる。
女房の浮気だって、そうだろう。亭主にしても、一度や二度の浮気は大目にみてきたのである。それを、まあ、亭主が知らないと思っていい気になりやがって、亭主がまだ一回しか浮気してないのに、女房は三度も四度も……なんて、オット、そんな物騒な話はヤメにしよう。
それにしても、顔を撫でられると、頭にきて、頭にくると腹が立つ。顔から頭へ、頭から腹へ電流でも走るんだろうか。