「負けるが勝ち」
というのは、都合のいいことわざだ。負けが勝ちなら、この世に勝ち負けはない。
美空ひばりの『柔』(作詞関沢新一・作曲古賀政男)にも、
※[#歌記号、unicode303d]勝つと思うな 思えば負けよ
とあるが、はじめっから「負ける」と思って勝負する人はいない。みんな、自分が「勝つ」と思っているから勝負するのである。
しかし、まあ、映画の「寅さん」のセリフじゃないが、それを言っちゃあ、おしまいよ。それを言ってしまった日には、世の中、負け犬ばかりになっちまう。
「負けて勝つ」
という。いまは負けていても、いつかは勝つのである。ふつう、こういうのは「負け惜しみ」というのだが、ま、いいか!
かりに負けたところで、
「勝つも負けるも時の運」
と笑うこともできるし、
「勝てば官軍 負ければ賊軍」
と嘯《うそぶ》くこともできる。が、こういうふうにあげつらってくると、わたしたちは勝ち負けにこだわっているのか、いないのか、わからなくなってくる。案外、こだわっていないとみせかけて、こだわっているのかも知れぬ。
勝ったほうは、
「勝って兜《かぶと》の緒を締めよ」
という。勝っても負けても人気があったのは、お相撲の高見山だった。