ひところ、ことわざや成句を言い換えて悦に入っていたことがある。早い話が、
「涙かくして尻かくさず」
「親子三人、猫いらず」
「暑さ寒さも胃ガンまで」
「知らぬは仏ばかりなり」
「子はカスがいい」
といったぐあいである。
こういうことを始めると、止まらなくなってしまうのが、わたしの悪いクセだ。たとえば、
「三尺下がって、六尺締めて」
「故郷は遠くにありて思うもの、近くば寄って目にも見よ」
「女房が病気で坊主の絵を上手に描いた」
「ハバカリで過ちて則ち改むこと勿《なか》れ」
というふうに次から次へと飛び出してくる。
これも、ちいちゃい時分から「知らなきゃ新橋ガーラガラ」とか「火事はどこだァ、牛込だ。牛のキンタマ丸焼けだ」とか囃《はや》して遊んだ名残りだろう。子供のときに身につけた性質は、大人になっても変わらない。それこそ、ことわざで言えば「三つ子の魂百まで」といったところか。人間、子供のときの生活が肝心だ。
ところで「こけしは、子消しだ」ということを聞いた。あの、ろくろ[#「ろくろ」に傍点]でひいた木製の人形は「水子供養のためのものだ」というのである。されば「水子の魂百まで」というのは、どう?