女に、
「ゆうべどこにいたの?」
と訊かれて、
「そんなに昔のことは覚えていないね」
と答えたのは、映画『カサブランカ』で主人公に扮するハンフリー・ボガートだった。
「今夜、会ってくれる?」
「そんな先のことはわからない」
ひゃあ、カッコいい。男なら、一生に一度くらい、こんなセリフを吐いてみたいものだ。
昨日は昨日、今日は今日である。昨日あったことが、今日あるとは限らない。同じように、明日は明日、今日は今日だ。
そんなわけで、
「今夜、会ってくれる?」
と訊いたものの、
「そんな先のことはわからない」
と言われたから——といって、彼女が「じゃあ、明日は?」と訊かなかったのは、ちょっとマズかった。明日になれば、彼の心も、また変わっていたかも知れないではないか。
しかし、あえて彼女が訊かなかったのは、彼女にも自尊心があったからだろうし、それよりも何よりも、べつな女性の登場で、彼の心が彼女から離れてしまっていることに気づいたからにちがいない。わたしに言わせれば、彼女もまた、棄《す》て難い心根の持ち主のように思われる——ナーンテ考えていたのは、そう、ずいぶん昔のことだった。