群ようこさんの『鞄に本だけつめこんで』(新潮社刊)を読んでいたら、面白い表現にぶつかった。当時中学生だった弟さんが群さんに向かって「おねえちゃんみたいに一見、本たくさん読んでるようにみえてそれが何の役にも立ってない人のこと、目から鼻の穴に抜けてるっていうんだよ!」と叫ぶのだ。
ふつうは、
「目から鼻へ抜ける」
という。あの『広辞苑』には「すぐれて賢いこと。また、ぬけ目がなく、敏捷なことの形容」と出ているが、
「目から鼻へ抜ける」
というのと、
「ぬけ目がない」
というのとでは、ちょっとちがうように思えるけれど、どうだろう? 早い話が「ぬけ目がない」にはズル賢いニュアンスがあるのに対して「目から鼻へ抜ける」のほうは、その利発さに、ただただ驚いている感じである。
それが「目から鼻の穴に抜けてる」というふうになると、俄然《がぜん》マイナス・イメージになってしまうから、不思議だ。なんだか、涙と洟水《はなみず》がいっぺんに出ているみたいではないか。
「目から入って耳から抜ける」
という言葉もある。こっちのほうは、たしかに「見たというだけで、何の知識にもなっていないこと」のたとえだろう。
鼻と耳とで、なぜこうちがう?