前に、
「岡目八目の岡目は傍目《はため》だ」
という説を紹介したら、友人から、
「岡目の�岡�には�傍�のほかに�非公式の�という意味もあるように思う」
というハガキをもらった。友人は例として�岡場所��岡っ引き�といった言葉を挙げ、
「どうでしょうか?」
と、ハガキを結んでいた。
どうも、こうもない。友人は、日本史の、それも江戸時代専攻の歴史学者なのである。
もっと白状させてもらえば、年齢も、わたしより五つか六つ上だ。だから、ホントウは「先輩」と呼ぶべきなのだろうが、成人後に知り合い、同じ時期、同じ師に学んだ関係もあって、なぜか「先輩」とは呼びにくい。
彼も「先輩」と呼んだら、イヤな顔をするのではなかろうか? 強いて言うなら、年長の友人である。
兼好法師の『徒然草』にも、
「よき友に三つあり、一つには物くるる友、二つには医師《くすし》、三つには知恵のある友」
と書いてある。わたしは、この「物くるる友」の「物」には、トーゼンのことながら「情報」というもの[#「もの」に傍点]も含まれている——と思っている。友人からのハガキは、まさに、その「情報」であった。
そこで、
「持つべきものは友」