女房に逃げられて、
「うーん、どうしよう?」
と頭を抱えるのも亭主なら、
「やれやれ、清々した」
と胸を撫《な》でおろすのも、亭主だろう。同じ亭主なら、
「やれやれ、清々した」
という亭主でありたい——と書きかけて、
「これは、まずい」
と考えなおした。
いかに「悪妻だった」とはいえ、女房が逃げたとたんに「やれやれ、清々した」と胸を撫でおろすのは、あまりにもネアカすぎて、同情を呼びにくい。ここはひとつ、心に思ったことは表情に出さずに「うーん、どうしよう?」と、頭を抱えてみせるべきではなかろうか。そうすれば、世の中には物好きな女性がいて、
「まあ、可愛そうに! ねえ、こんなあたしで、どう?」
と言ってくれないとも限らない——というのは、やっぱり、考え方としては甘いでしょうね?
「物は考えよう」
ということわざは、
「世の中の幸・不幸も、考え方次第で、最悪のケースを思えば諦めもつく」
といった意味で、前項の「物は言いよう」とは、ずいぶんちがう。