江戸の「いろはかるた」には、
「よしのずゐから天井をみる」
とある。それが、ことわざでは、いつのまにか「天井のぞく」になっている。
「天井をみる」よりは「天井のぞく」のほうが言い易いのか? それとも、上方の「いろはかるた」の「針の穴から天のぞく」とゴチャマゼになったのか?
この�天井�だって、
「もともとは�天上�だったのではないか?」
という説がある。葦の茎の管を通して天をみ、天全体を云々した日にはトンデモナイコトになる。これは、オノレの狭い見識で大きな問題を判断しようとする愚を戒めているわけだ。
「管を用いて天を窺《うかが》う」
「管に因りて天をみる」
「かぎのあなから天をのぞく」
「竹の管から天をのぞく」
「火吹竹から天をみる」
というのも、みんな、同じ意味である。そうして、似たようなことわざに「井の中の蛙」というのがあって、これは「大海を知らず」というふうにつながっていく。
それは、まあ、それとして、印刷の誤植の例に、小説家の神吉拓郎氏がつくった傑作パロディーがある。わたくし、これを山口瞳さんの『私流頑固主義』(集英社文庫)で知ったのだが……。
いわく「よしのずいから天丼[#「丼」に傍点]のぞく」