「知りません」
「存じません」
「記憶にございません」
というのが、たとえば国会における証人喚問の際などの模範答弁(?)である。これほど国民をバカにしたモノの言い方もないが、それでも彼らがテンとして恥じないのは、
「忘れたと知らぬは手が付かぬ」
ということわざがあるからだろう。
——忘れた者には、怒ってみてもはじまらぬ。知らない者には、何を言っても無駄だ。
「だから、ここはトボケるだけトボケてしまえ」
というのが、証人側の論理みたいである。言っちゃナンだが、この国の政治は健忘症にかかった人たちの手に委ねられている。
「もの忘れがいい」
ということは、失礼ながら、ボケはじめた証拠ではないのか。ああいう場所でトボケるのも結構だが、トボケは、やがてボケに通じると思いたい。
「次の三つのことを忘れるようになったら、自分もトシをとったと思え」
と言ったひとがいる。彼が言うには「まず友人の名前だろ? こいつを忘れるようになったら、そろそろトシだな」と、指を折り、
「二番目に……、エー、二番めは何だったっけかな?」
と言ってから、
「あ、忘れた」