重役に呼び出され、
「きみのおかげで、わが社の業績も軌道にのってきた」
と言われたときは、トーゼンのことながら昇進の内示だとばかり思っていた。
ところが、話はそれきりで、一向に進展しない。いい加減じれてきて「それで?」と促したが「いやあ、感謝しているよ」と、相変わらずである。
「じゃあ」と立ちかけたら、
「その才能を活《い》かすには、わが社の器は少し小さすぎやしないか」
ときた。要するに、婉曲《えんきよく》な退職勧告だった。
ここで、わたしは失敗した。つい、われを忘れて「なんだ、辞めてくれということか」と口走ってしまったのだ。
とたんに重役は、
「そうなんだ」
と大きく頷《うなず》き、
「さすがに呑《の》み込みが早いな」
と笑うではないか。重役にしてみれば、わたしの「なんだ、辞めてくれということか」という一言は�渡りに舟�だったにちがいない。
「渡りに舟」
ということわざは、困っているところへ好都合なことが起きることのたとえである。わたしは、言わでものことを言ったばっかりに敵にチャンスを与えちゃった。