女房に、
「お父さん」
と呼ばれるたびに、
「オレはお前のオヤジじゃない」
と怒鳴り返して、いつのまにか二十年以上たってしまった。夫婦なんて、他愛もないもんである。
自分でも、
「呼ぶほうも呼ぶほうだが、怒鳴り返すほうも怒鳴り返すほうだ」
ということぐらいは、わかっている。が、人生には、わかっちゃいるけど——ということだってある。
このあいだも、
「お父さん」
と呼ぶから、
「オレは、お前のオヤジじゃないって言ったろ。何べん言やあ、わかるんだ?」
と怒鳴り返したら、傍らにいた娘に、
「じゃあ、お父さんはお母さんに何と呼ばれたいんですか?」
と言われて、言葉に詰まった。娘も、年頃になると、ナマイキに親をからかう。
この娘は、幼稚園に上がる前に、母親のことを「おい」と呼んで、ビックリさせた前歴(?)のある子だ。もっとも、娘は父親のことを「あなた」と呼んで、すぐに母親の胸を撫で下ろさせたが……。
いつだったか、どこかの調査で〈妻の夫に対する呼び方は、ふだんの場合は、約五割の人が「お父さん」「パパ」と呼んでいるが、親しい友人に話す際は、五割以上の人が「主人」と呼んでいる〉という数字をみせられたような気がする。いずこの家庭も、妻は夫を父親扱いしているようだ。
これは、おそらくは日本の家庭が子供中心に営まれているせいだろう。高齢化社会を迎え、やがて子供たちが独立していき、ふたり残されたあとも「お父さん」「お母さん」と呼び合うのかと思うと、あまりいい気持ちはしない。
ところで、外にあって妻たちが夫のことを「主人」と呼ぶのも、どんなものか。女房などは、電話の相手に「うちの主人が」「うちの主人が」と繰り返しているけれど、我が家の主は、どう考えたって彼女のほうである。
女房に、
「お父さん」
と呼ばれるたびに、
「オレはお前のオヤジじゃない」
と怒鳴り返しているように、彼女が、
「うちの主人」
と言うたびに、
「お前はオレの下僕か」
と、イチャモンをつけている。とかく下僕は主人をバカにしがちだから、わたしは「主人」と呼ばれるのが嫌いだ。
それでも、わが女房ドノは、わたしのことを「お父さん」あるいは「うちの主人」と呼んでいる。なにやら意趣があるみたいである。