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男のためいき女の寝息20

时间: 2020-02-04    进入日语论坛
核心提示:母性愛にかんする一考察「母性愛」という。こいつが、わたしにはわからない。こんなところで「広辞苑」を引用するのもナンだが、
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母性愛にかんする一考察

「母性愛」
という。こいつが、わたしにはわからない。
こんなところで「広辞苑」を引用するのもナンだが、机の上の「広辞苑」には、
「母親が持つ、子に対する先天的・本能的な愛情」
と出ている。女性なら、誰でも持っているような説明である。
失礼ながら、
「ホントだろうか?」
というのが、このわたしの、偽らざる感想だ。数多い女性の中には、母性愛のカケラも持ってない母親だっているのではなかろうか。
わたし自身は、べつに母親にいじめられたり、いびられたりしたわけではない。むしろ「可愛がられたほうじゃないかな?」と思っている。
それでも、
「母性愛は、果たして女性の本能だろうか?」
という疑問を抱いているのは、母親以外の女性から、いわゆる母性愛を注いでもらった記憶がないからだろう。これを逆に言うなら、わたし自身は、
「女性の母性愛をくすぐるほど、可愛くなかった」
ということになる。いや、いまでも確かに可愛くない。
そんなわけで、わたしには、いわゆる女性の母性愛なるものに対して偏見があるのだ。そう、もっと正直に言うならば、あまりにも周囲の友人たちが、いわゆる女性の母性愛なるものをくすぐっているのを見すぎてきたために、イヤらしいとさえ思っているのである。要するに、わたくし、モテなかったんですね。
それは、まあ、ともかく——
わたしが急に母性愛なるものについてかかる考察をはじめたのには、もちろん、動機がある。ついこのあいだ、フランスのコリーヌ・セロー女史が監督した映画『赤ちゃんに乾杯!』を観て、
「男の中にも�母性愛�はある」
ということを思い知らされたばかりだからだ。
映画そのものは、
「ある晴れた日、戸口に棄てられてあった赤ん坊とバスケットをみつけたばかりに、三人のプレイボーイたちが、俄然�子育て�の歓びを知り、テンヤワンヤの騒ぎを繰りひろげる」
といった他愛もないコメディーだが、彼らの赤ん坊に対する思い入れが、まさに�母性愛�としか言いようがなくて、考えさせられたのだ。女性の�母性愛�が、かならずしも自分の産んだ子にだけ注がれるわけではないように、彼らもまた自分たちが産んだわけでもないのに、
「産みたい」
と思ったりする。
それにしても、赤ん坊を棄てるのが本来は�母性愛�の持ち主である女性で、育てるのが�母性愛�の持ち主ではない男性である。そこで、偶々来日したセロー女史に面と向かって、
「よく棄てられるなあ」
と訊いた男がいたが、そのときの女史の答えが傑作だった。
彼女いわく——
「なに言ってるんですか? 男性は、昔っから棄ててきたじゃァありませんか」
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