高校生の娘に、
「ホントは、お父さん、定年している[#「定年している」に傍点]のか?」
と訊かれて苦笑した。わたくし、気がついたら、三十歳を過ぎて二十五年もたっているのである。
それにしても、
「定年している」
という言い方には、ビックリした。いわゆる�するする言葉�も、
「ここまで来たか」
といった感じである。
カルチャーする。あるいは、カルチャーしている。
青春する。あるいは、青春している。
原宿する。あるいは、原宿している。
大学生する。あるいは、大学生している。
ロマンチックする。あるいは、ロマンチックしている。
中年する。あるいは、中年している。
数えあげれば、キリがない。あらゆる種類の名詞に「する」あるいは「している」が勝手に付きはじめたのは、テレビのCMで、
「あなた、タバコする?」
とやって以来だろうか?
最近は、
「不倫する」
「風俗する」
といった使い方もあるらしい。なんだか風紀が紊乱《ぶんらん》しているようで、恥ずかしい。
NHKのアナウンサーが、
「アタマ文字、アタマ文字」
と言っているのを聞いて、ホントに頭が痒《かゆ》くなってきた。断るまでもないけれど、頭文字《かしらもじ》のまちがいである。
いつも、
「フシギだな」
と思うのは、アナウンサーがこうしたまちがいをやらかすたびに、いわゆる識者なる人物がしたり[#「したり」に傍点]顔して、
「日本語が乱れている」
と言い出すことだ。失礼ながら、こういうのは、日本語が「乱れている」のではなくて、
「まちがっている」
というのではなかろうか?
「まちがっている」
といえば、あくまでもそのひと[#「そのひと」に傍点]個人の責任である。まちがった奴が悪い。
しかし、
「乱れている」
というと、なんとなくそのひと[#「そのひと」に傍点]個人の責任ではないように思えてくる。言っちゃナンだが、
「仕方がないな」
といったニュアンスである。
日本語を乱しているのは、じつは、こういう要らざる心づかいではないのか? わたくしには、どうもそんな気がしてならない。
「アタマ文字、アタマ文字」
と言っているのを聞いて、ホントに頭が痒《かゆ》くなってきた。断るまでもないけれど、頭文字《かしらもじ》のまちがいである。
いつも、
「フシギだな」
と思うのは、アナウンサーがこうしたまちがいをやらかすたびに、いわゆる識者なる人物がしたり[#「したり」に傍点]顔して、
「日本語が乱れている」
と言い出すことだ。失礼ながら、こういうのは、日本語が「乱れている」のではなくて、
「まちがっている」
というのではなかろうか?
「まちがっている」
といえば、あくまでもそのひと[#「そのひと」に傍点]個人の責任である。まちがった奴が悪い。
しかし、
「乱れている」
というと、なんとなくそのひと[#「そのひと」に傍点]個人の責任ではないように思えてくる。言っちゃナンだが、
「仕方がないな」
といったニュアンスである。
日本語を乱しているのは、じつは、こういう要らざる心づかいではないのか? わたくしには、どうもそんな気がしてならない。
またまたNHKの例で恐縮だが、朝のテレビ小説『はっさい先生』の女主人公が、
「トンデモアリマセン」
という挨拶を連発しているのが、気になった。それこそ昔の人が聞いたら、
「トンデモナイコトデス」
と言うにちがいない。
「トンデモナイ」
というのは、
「ヤルセナイ」
というのと同じで、連語だろう。流行歌の「月にやるせぬ 我が想い」がまちがいであるように、この「トンデモアリマセン」もまちがいのような気がするが、どうだろう?
でも、三省堂の『国語辞典』第三版には「相手の言ったことを強く・否定する《ことわる》ときのことば」として、
「—(ことでございます)」〔「とんでもございません」は「とんでもないことでございます」の新しい言い方〕
というふうに出ているところをみると、必ずしもまちがいではないかもワカラン。が、少なくとも「新しい言い方」であって、このドラマが展開されている戦前、それも昭和初期には使われていなかった。
これは、明らかに放送作家のまちがいだろう。演じている女優さんに罪はないけれど、やはり、気になる。
「トンデモアリマセン」
という挨拶を連発しているのが、気になった。それこそ昔の人が聞いたら、
「トンデモナイコトデス」
と言うにちがいない。
「トンデモナイ」
というのは、
「ヤルセナイ」
というのと同じで、連語だろう。流行歌の「月にやるせぬ 我が想い」がまちがいであるように、この「トンデモアリマセン」もまちがいのような気がするが、どうだろう?
でも、三省堂の『国語辞典』第三版には「相手の言ったことを強く・否定する《ことわる》ときのことば」として、
「—(ことでございます)」〔「とんでもございません」は「とんでもないことでございます」の新しい言い方〕
というふうに出ているところをみると、必ずしもまちがいではないかもワカラン。が、少なくとも「新しい言い方」であって、このドラマが展開されている戦前、それも昭和初期には使われていなかった。
これは、明らかに放送作家のまちがいだろう。演じている女優さんに罪はないけれど、やはり、気になる。